「自殺したい」という声を聞いてきた。ー合理的な自殺という選択肢ー
100人以上の自殺志願者の声を
高校生の時から直接聞いてきた。
プロでも専門家でもない
お金を貰ってるわけでもなく
特別な解決策があるわけでもなく
ただ、ただ、聞いてきた。
その経験を踏まえた自殺の話。
文量が多いので
目次ごとにページを分けました。
このページにすべて書かれていますが、
見出し毎にページを用意してるので
一気に読めない人や部分的に読みたい人は
そちらを活用して下さい。
【目次】
生きる事に価値はある?
自殺という選択肢
逃げる選択肢
自殺を選択するリスク
自殺の誤解
自殺の否定は生きる事の肯定
僕の選択肢
生きる事に価値はある?
劣等感を感じる必要はない。欠点も長所も同じ個性。長所を活かすためにも、自分の欠点をありのままにメタ認知する必要がある。大切なのは個性を受け入れることだ。 Vougeの特集で渡辺直美さんが「私がどこから来た(生まれた)かよりも、私が『渡辺直美』であることが大事。私らしく生きる」 pic.twitter.com/Lzu230TzlK
— ふじむらたいき (@fujifujizombi) 2018年2月2日
生きる事の価値ってなんだろう。
僕は生きる事に価値があるのではなく
「選択出来るから」こそ
“生きる”という選択肢には
価値があると思っている。
『人生は選択の連続だ』
この言葉はその通りだと思う。
生きてる限り
選択し続ける事が出来る。
人間という括りでまとめれば
“死なない”という選択肢などを除けば
あらゆる選択肢を選ぶ事が
人間には可能である。
その“選択肢の幅”こそ
人類が繁栄し続けている理由で
その選択肢の幅が
さまざまな状況を作り出している。
その中で
自殺という選択肢も
確かに存在している。
自殺という選択肢
人間は
自分の置かれた状況に合わせて
選択する生き物です。
なにか問題を考える時
“選択肢”に注目されがちだが
“状況”に注目するべきだと思っている。
自殺という選択に
異議や批判をする人は多い
ただ、その人にとって
“死にたいという状況”だから
“自殺”という選択肢を選んでいる事に
もっと目を向けるべきだと思う。
「そんなの当たり前。注目している」
という人も多いと思う。
でも、その中には、
「自殺はダメ」
という言葉を発する人も多いと思う。
その優しい言葉は
“選択してはいけない”という提案に聞こえ
その言葉は
“死にたい状況のままでいろ”
と、変換されて聞こえてくる。
という話を
自殺志願者の人たちから
何度も聞かされた。
正直、僕はある時期
「自殺したい」という言葉を目の前で聞くと
不快に感じていた。
病気で死んだ友達の顔が浮かんで
嫌な気持ちになるからだ。
「生きたくても生きられない人がいるのに」
ファッション感覚で
リスカしてるように感じて
それをSNSで他人に見せびらかす時点で
「死にたいって言いたいだけ」
そんな風に感じていた。
しかし
“死にたい状況”の人からしたら
そんなの関係ない。
他人の事より自分の状況の方が大切だ。
だから
「親が悲しむ」「周りに迷惑」
(だから自殺を選択するな)
という言葉も全て他人の話で
本人の「死にたいという状況」は
何ひとつ変わらないのだ。
自殺という選択肢を
否定する事も
その人の考え方なので
それにとやかく言うつもりはない。
僕自身、否定したくなる気持ちもある。
(もっと言えば自殺する気持ちがわからない)
ただ、助けたいと思って
投げかける優しい言葉が
実は、残酷な言葉に
聞こえている場合もあるのだ。
逃げる選択肢
自殺志願者に向けられる
一番多くの解決策が
「逃げろ」と言う選択肢。
これはその通りだと思うし、
僕もそういう言葉を投げかける事も多い。
「死ぬ勇気があるなら逃げろ」
こういう言葉の裏に隠れた
状況について少し書いていきたい。
自殺という選択肢が選ばれる理由。
逃げる選択肢よりも
自殺という選択肢を選ぶのは
様々な状況や理由があると思うけど
実際に自殺志願者の話を聞いていると
“自ら選べない選択”と“繰り返す不安や恐れ”
この2つが大きい理由だった。
例えば
学校でいじめられて死にたい。
その時に逃げろと言われても
現実問題。逃げるのは結構難しい。
転校も親への相談から始まり
引っ越しなどの難しさ
自分1人で選択出来ない現実がある。
転職する事も
1人で選択出来なくはないが
親や周りの目を気にしたり
退職のやりとり。次の就活。
当たり前のことなんだけど
それがしんどくて
自ら進んで選べない現実がある。
もっと言えば
自殺という選択肢は
1人で、簡単に、出来る。
タオルで、部屋で、10分で、
自殺という選択肢は実行できる。
他にも逃げる選択肢としては
このような選択肢がある。
引きこもる、我慢する、電話・病院相談、
こういう選択肢は
先ほどと比べれば
自ら選べるし、そこまで難しくない。
しかし
「繰り返す不安や恐れ」がある。
状況が変化しないという不安や恐れだ。
先ほどの転職や転校も
同じような状況になるのでは?という不安
逃げたらもっと辛いかもしれないという不安
引きこもって逃げても
ずっと引きこもる事が出来ない
卒業まで我慢しても
次の場所も同じ状況になるかもしれない
勇気を出して相談しても
状況が変化しないという不安
人生は選択の連続だ。
逆に言えば選択し続ける必要がある。
死にたいという状況の
逃げるという選択肢
それは思っているより難しい選択で
「状況が変化しない」「繰り返す」
という不安や恐れが付き纏う。
だから
「逃げる選択肢」を選ばない。選べない。
こういう現実が
逃げる選択よりも
自殺という選択を選ぶ
なぜなら、自殺という選択も
死にたい状況の人にとって
実現可能な「逃げる選択」なのだ。
少しまとめると
僕は自殺を選択するのは
辛い状況だから自殺すると思っていました。
でも、それは志願者の話を聞いていると
違う事がわかってきた。
自殺というのは
1.現状が嫌だ、辛い
2.他にいい選択肢がない
この
2つの状態に陥ったり、続くと
自殺を選択する事を考え始めるのだ。
自殺を選択するリスク
では、自殺という選択肢は
凄くいい選択肢なのか?
僕はそうは思わない。
志願者の話を聞いていると
自殺を選択する時に陥っている
3つの状態を自覚していない場合が多い。
《選択肢を知らない》
自殺は1つの選択肢という事は認めるが、
若い人が選択するのはあまりお勧めしない。
未成年保護や少年法が日本にはある。
例えば契約行為などは制限されている。
なぜか?
“知らない”につけ込んで
詐欺同然の行為などを防ぐためなど、
【若者は間違った選択をする】前提で
国はこのようなルールを決めている。
つまり
経験不足は
賢い、賢くない関係なく
選択肢が少ない可能性が高いのだ。
自殺という選択肢が
最善に思えても
ただ、単純に他の選択肢を
知らないだけかもしれない。
若い人に限らず
こういう場合はよくある。
もちろん、
知らないのはダメという話ではない。
“知らない” “他の選択肢がある”
このことを自覚するだけで
見えてくるものがある。
若者の人間関係で悩んでる場合は
特にこの状態に気をつけよう。
好きな人とひどい別れをして
死にたがっていた人と話してて
ずっと苦しんでいたが、ある時、
ジャニーズにハマり一気に状況が変わった。
ジャニーズ好きという繋がりで
その後、一般男性と付き合うようになって
結婚して子供が産まれた。
《他の選択肢が見えない》
社会人で一番多いパターンはこの状態だ。
科学的にも立証されているが
人は追い込まれると(余裕がなくなると)
他の選択肢が見えなくなったり、
辛い状況が続くと
その状況が当たり前に思えたり、
特殊な環境にいると
正常な判断が取れなくなったり
錯覚に陥り1つの判断が正しく感じたり、
この状態はかなり難しい問題だ。
見えなくなってる事に
自ら気づけないのだから。
自分の状況を定期的に
問題意識があるなし関係なく
確認する習慣を
用意していてもいいかもしれない。
自殺志願者の親が
相談してきた事もあった。
その親に志願者本人の
行動(自殺)を否定するのではなく
楽しみながは自己分析するような提案を
いくつか伝えた。
その後、何度か話していくと
子どもが自分の状況に気づいていくに連れて
親の声が届くようになってきた。
《選択し直せない》
自殺における最大のリスクは
個人的にここだと思っている。
最初に伝えた通り
生きてる限り選択し続ける事が出来る。
過去に戻る事は出来ないが
新たな選択肢を選び続ける事が出来る。
自分の意志でたくさん
選択肢を選ぶ事も可能である。
しかし、唯一
自殺という選択は
そういう選び直しが出来ない。
やり直さないという決定は
今後どのような
ステキな選択肢が現れても
選ぶ事のできないもったいなさがある。
人生に正解はない。
それなのにやり直しできない選択を
選ぶのはリスクが高い。
そして、そういう事を考えず
どこかゲーム感覚でその選択肢を
選ぼうとしてしまってる人もいる。
僕に相談してきた人で
病院に運ばれた人がいる。
自殺しようとしたが
いざ、してみたら思った以上に
怖くなって
自ら「助けてください」と連絡した。
救急車を呼びつけた。
命は無事だったが
当然、死ぬ可能性もあった。
自殺という選択を
やっぱりやめたいと思い直しても
そのまま死んでしまう事もある。
自殺の誤解
自殺という選択肢について考えてきた。
その他にも
自殺について話題になるのが
自殺の原因についてだ。
自殺を選択する“出来事”はなんだ?
いじめ?ブラック企業?ハラスメント?
という事についてよく言及される。
しかし
自殺志願者の話を聞いていると
必ず大きく傷ついた過去や
よくメディアで取り上げる
家族関係がおかしいわけでもない。
些細な事が原因だったり
理由もなく自殺したがる人も多い。
ここが大きな誤解なのだが
最初のまとめで書いたように
「辛い状況」と「死にたい状況」
は同じではないのに、同じだと思われている。
自殺というのは
“出来事”や“辛い状況”ではなく
“死にたい状況”がそうさせる。
例えば
一般的に比べたら
自殺した人よりも
壮絶に“辛い”経験がある人は
世の中にたくさんいる。
そういう人間の一部が
(もしくはそういう人間を知ってる人が)
「その程度で自殺とか甘えてる証拠だ」
という考えの人もいる。
しかし
そういった辛さの度合いや出来事は
自殺を選択する部分ではない。
選択肢があるかないかの方が
自殺を選択する上で遥かに重要な部分なのだ。
つまりどんだけ辛くても
他に“選択肢”を持ってる人は
自殺しなかったりする。
だから
退屈という理由でも自殺する人
“やり残した事がない”から自殺する人
そういう人間が確かに存在する。
もう少し先ほどの内容を
わかりやすくまとめると
出来事→辛い状況→自殺
という形が
自殺のプロセスだと思われているが
現状が嫌→選択肢がない→自殺
[ 死にたい状況 ]
という形が
自殺のプロセスとして正しいと考えられる。
だから
自殺について考える時
自殺を減らすアプローチとして
・自殺という選択肢に注目する
・出来事や辛い状況の原因を追求する
この2つに注目されがちだが
“死にたいという状況”を
変える方がアプローチとしては正しい。
自殺の否定は生きる事の肯定
何度も言うが
自殺は選択肢の1つだ。
選択肢の1つとして確かに存在する。
助けたくて
自殺という選択肢を否定するのは
あまりお勧めしない。
なぜなら
「自殺はダメ」という考えは
「生きる事の肯定」を意味する。
生きる事は正しい
生きる事は善。死ぬ事は悪。
宗教的にもこういう考えはある。
でも
この考えは
生きてる事が辛い時には
キツい言葉で、八方塞がりになる。
生きる事を“目的”として扱われると
生きる事から逃れたい人には
「存在を否定されてる」ように感じる。
選択肢の否定は
存在の否定として
受け取る場合がある。
僕の選択肢
では、どうすればいいのだろう
「正解」とかはないのだが
僕は
自分の生きてきた経験から
自殺としての選択肢がある事を踏まえて
『死にたい状況の時に新しい選択肢を作る』
自殺という選択肢や
逃げるという選択肢よりも
“掴みたくなる選択肢”を
提案し続ける人間でありたい。
自殺志願者の人の声を聞いてきて
「学べた事はなんですか?」
という質問を度々頂く。
しかし
「学べた事なんて特にない」
というのが僕の本音だ。
質問された時に
答えが思いつかなかった。
ただ、
この少し変わった経験をしていくうちに
僕自身変化した事がある。
それは
自分が頑張れない時
自分が辛い時、しんどい時
実際に自殺を選択した人間の顔が
何人も浮かんでくるのだ。
その顔が浮かぶと
やるせない気持ちにもなるが
同時に頑張ろうという気持ちになり
選択する勇気を貰える。
僕が提案したところで
死にたい状況の人からしたら
他人なんて関係ないし
提案したところで
自殺を選択する事もあると思う。
それでも僕は提案していきたい。
僕は死にたいと思ったわけではないが
(自殺という選択肢を知らなかった)
ある1つのありふれた提案が
人生を180度変えてくれた経験がある。
他人に救われた経験がある。
掴みたくなる選択肢を頂いてから
僕が見える世界はガラッと変わった。
状況なんて何1つ変わってないのに
新しい選択肢があったおかげで
毎日を楽しく感じるようになった。
その選択肢を選択し続けると
状況がどんどん変わっていった。
死にたいという状況・退屈という状況
この状況は自らの経験で考えるなら
不幸だと感じている。
そして
選択肢がある人生を幸せだと感じている。
人生は選択の連続だ。
掴みたくなる選択肢がある限り
人生は楽しい。
選択肢があると悩みが生まれる。
それでも選択肢がある人生の方が楽しいし
選択肢が豊かな社会で生きていきたい。
そういう社会で生きていきたいから
そういう選択を僕は取っていきたい。
ひとり、ひとり、の
選択肢が増えれば
そういう社会になると思っている。
自殺志願者の言葉が
僕に選択肢を与えてくれた。
僕に選択する勇気を与えてくれている。
僕もそういう人たちにとって
勇気や選択肢を与えられる存在になりたい。
最後に
この話は
僕が「どうしたいか」
僕の「選択肢」
という話なので
これが世の中の答えとか
この選択肢が正しいとも思っていない。
藤䉤庸一さんを尊敬しているので
ただ、新しい選択肢を用意するだけではなく
新しい選択肢を選択した後も
献身的に寄り添っていく事もしていきたい。
長文なのに読んで頂きありがとうございます。
感想や相談があれば喜んで受け取ります。
ps.
なぜ自殺志願者と話すようになったのか
その経緯について書いていたのだが
そうしていくうちに
なぜか自分のしたい事が
明確に見えるようになった。
自身の話について興味あれば
また、その内書いていこうと思います。
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